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2007年12月16日 (日)

エスニシティの政治的組織化

在日韓国人の参政権は、韓国で実現されそうですな...

エスニシティの政治的組織化
~ポーランド系アメリカ人のアメリカ社会への「構造的同化」の過程から~(2001年)

 エスニシティが文化に関わる概念だとすれば、ニュー・エスニシティは広い意味での政治的文脈において展開される(Barth1969, Cohen1969)。本稿では、現在きわめて政治的な現象となっているエスニシティ問題を、ポーランド系アメリカ人のアメリカ社会への適応パターンを通して考察する。これは、日本における最大のマイノリティ民族集団である在日韓国・朝鮮人問題の所在について、大きな示唆を与えてくれるものと考える。

ポーランド系アメリカ人とは何か
 ポーランド系アメリカ人とは、同じ白人でありながら先住移民集団から黒人に次ぐ迫害と差別を受けてきた、白人社会の最底辺に位置する民族である。その大半が1870~1914年の新移民軍と呼ばれる第3期移民で、経済的理由での移民であり、教育程度が低く非熟練で低賃金な労働者として受け入れられる。差別により外の世界から拒絶された人々の、心理的な需要と保障の砦として、ポローニャ(=ポーランド人コミュニティ)は、相互扶助組織や施設・制度など文化的自給自足体制を可能するほどの強固さをもつに至る。
例えば、コネチカット州ニューブリテン市は、総人口の3割以上がポーランド系(1970年)である。ポローニャの必要性について、ニューブリテン・ポローニャの父と呼ばれるブイノフスキーは、“ポーランド文化の尊重と民族性の誇り”をあげるが、それは「アメリカ社会への否定反応ではなく、適応のために必要である」と説明された。また、政治的結束の必要性を、元来結束が下手で、派閥・競争主義傾向の強いポーランド人の特質に帰する社会学的見解がある(Lopata 1976)。さらにそういった特質は、領土分割の悲運の歴史に根ざすものだという意見もある。

ポーランド系アメリカ人の文化化構造の変化
第1世代にとって、ポローニャは、民族の伝統文化やスタイル(ポーランド語とポーランド文化)にあった生活を保障してくれる「安息の場」であった。しかし、馴染みの無い環境に対する適応を助けるためというブイノフスキーの意図に反し、結局はこれがアメリカへの同化を遅らせたのではないかという評価もある。
第2世代にとって、ポローニャは文化と民族意識を伝える「文化化マトリックス」として機能した。他方、公立学校で「アメリカ化」教育を受けたため、「2つの異なる文化化マトリックスの交差=文化化の二元的構造」が起こった。また有利な職探しには、アメリカ的文化を身につけることが不可欠であったため、アメリカ文化を積極的に吸収し、姓名をアングロ風に変えて支配集団の世界へ侵入しワスプ文化へ同化する「パッシング(変身)」を行い、さらにはポローニャから混住地域へ移住、主流社会への構造的同化を果たした。
戦後移民(政治難民を含む)として渡米を果たしたのは、教育レベルの高い知識層と教育レベルの低い労働者・農民階層であった。前者は、意識的なバイカルチュラリズムの生活スタイル、つまり母国語および母国文化と英語およびアメリカ文化の両方を尊重する態度を見せた。後者は、ポローニャの中に埋没したような母国文化志向のライフスタイルであった。
1970年代以降は、“民族の時代”と呼ばれる「少数民族活性化運動の動き」の全国的な潮流に呼応して、個人レベルでは姓名をアングロ風から元に戻し、ポーランド系アメリカ人を主張する動きがでてきたり、ポローニャ内部の政治的運動では同化主義から方向転換したりと、エスニシティの自覚の上に展開しようとする動きが見られた。
結果、「アングロ化(同化)とエスニシティの政治的動員(1970年~)」という相反する2つの展開がポーランド系アメリカ人のなかに見られるようになる。

パッシングできるという存在
白人であるポーランド人の最も大きな特性は、パッシング(変身)できるという存在である。つまり、アングロ名を名乗り、アングロ系と変わらない姿に変身してしまえば、外見的で即時的な差別や迫害が存在し得ない。彼らのエスニシティの本質は、「私は何者か」というアイデンティティの問題になる。いわゆる「インヴィジブル・マイノリティ」であるが、「ヴィジブル・マイノリティ」と比べられるとき、彼らはしばしば優位な存在であるとされ、何の問題もないとやり過ごされる場合が多い。
こういったアイデンティティの問題を考えるとき、民族集団への帰属意識をめぐるギアースとバースの対立は非常に興味深い。彼らの対立は、特定の民族集団への帰属意識が「文化的要素の共有」の結果か、「政治・経済的利害関係」の結果かをめぐる対立と捉えることが出来る。人々のもつ自己主張の欲求は必ず、自分たちが何者であるかというアイデンティティの探求を伴い、それは現実には「かくかくしかじかの者」として、その重要性をみとめてほしいというかたちをとる。外見上に差異のない「インヴィジブル・マイノリティ」は、外見上に差異がないゆえに、アイデンティティの喪失が起こりやすいのである。前者を主張するギアースは、人々は血や言語や慣習などを共有することから生じる結びつきである「本源的紐帯」に影響を受けやすいとし、これを人間の民族範疇への分類の基準とみなし、それが民族境界を維持しているのだとした。これに対してバースは特定の文化的要素の共有は、むしろ排除や取り込みといった民族境界の維持をめぐる集団間の社会的相互作用の結果であるとする。つまり人間の民族範疇への分類は、文化要素の保持によってではなく、集団間の境界の維持によって決定され、境界を維持するか消滅させるかは、政治・経済的な利益・不利益によるとしたのである。
エスニシティの政治組織化的行動に対して、マジョリティ側からバースの論理において解釈がなされることがしばしばある。一方、マイノリティ側はギアースの論理を、声を大に主張する。しかし、バースの論理もギアースの論理も、どちらか一方では、「民族」を解明したという印象を私たちは持ち得ない。解明すべきは、政治、経済的な行為と、一見それらとは何の関係も無い出自や名前といったもの、どちらが決定的かという問いではなく、この二者がどのように結びついているのかという問いではないだろうか。

文化的差異の経験と政治・経済的利害の結びつき
ポーランド系アメリカ人たちは政治的組織化と政治的参加を強化させながら、主流社会への「構造的同化」を果たしていった。ニューブリテン市におけるポーランド系アメリカ人の政治的参加の過程を通してみてみる。
まず、人口比は多数派に関わらず、市政への参加の度合いが、他の民族に比べて低いという状態があった。1930年代までは、彼ら自身の政治的無関心と雇用主による半強制的により共和制支持であった。1940年代になってはじめて、経済的な大不況を背景に政治的関心が増大、労働者の支持政党である民主党支持に転換する。1950年代までに政治への積極的な参加が継続され、ようやく初のポーランド人市長(1946)を誕生させる。1960年代になると民族的覚醒が起こり、「あらゆるレベル・部門において、きわめて少数の代表しか政官財に送り出していない」という民族代表の過少性を認識するようになる。これ以降、政治・文化運動団体の活動が活発化しはじめる。こうした流れのなかでPAC(ポーランド系アメリカ人全国評議会)と呼ばれる民族結社が結成される。これはポーランド系諸団体の要の役割を果たすもので、政治結社的性格が濃厚なものとされる。PACの活動として主なものは、第1に「ポーリッシュ・ジョーク」に象徴的に現れている、ポーランド系の人々に対する軽蔑的、差別的言辞の、主にジャーナリズムに対しての糾弾運動であり、第2にポーランド系民族代表をできるだけ多数政界に送る運動であり、第3に民族文化遺産の研究振興運動であった。
このように、彼らは「文化的差異」からくる経験を~それは排除であったり無力感であったりするのだが、克服すべく積極的に政治活動に乗り出していったといえよう。ポーランド系アメリカ人のアイデンティティ追求は、アメリカ社会において、まず社会政治的により高い地位を目指すことで自らに自信をつけ、そのうえで文化的な発展も持続させようとしたのである。ニューブリテン市のポローニャにおいて、アメリカ建国二百年祭記念行事の一環として行われた記念集会で、「アメリカ合衆国の社会的文化的発展に対するポーランド人の貢献」や「アメリカ合衆国の発展に対するポーランド婦人の貢献」という講演が見られることは、それを如実に表している。

まとめとして
以上は、多民族国家アメリカでの事例であり、移民のいきさつからも、日本における在日韓国・朝鮮人の事例と単純に比較できないのは明らかである。彼らが日本という国家を忌避することは仕方ないのかもしれない。しかし、彼らの参政権問題を基本的人権として考える場合、地域住民として、あるいは「市民」として、彼らの住む地域や市民的連帯のなかで、それへの貢献の義務と意思が示されるべきではないだろうか。もちろんポーランド系アメリカ人の人口は600~1000万であり、アメリカ総人口の5%を占めるのに対し、在日韓国・朝鮮人の人口はおよそ100万人であり、日本の総人口の1%にすぎないという現実が、彼らに構造的同化への躊躇をもたらしているのだろう。しかし、こういった多数決の論理に対抗しうる手段は、結局は日本人との市民的連帯のなかからしか生まれないのである。

参考文献
『移動の民族誌』 岩波講座/文化人類学 1996
『異文化間教育学序説』江淵一公著 九州大学出版会 1994

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