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2008年7月24日 (木)

期待2

リンク: なぎのねどこ: 期待.

昨日エントリーした「期待」にいくつか応答があったので紹介しときます。と、その前に、昨日のエントリーに「期待しないでなどと広報する話なのか」と書いたけど、「期待しないで」ではなくて「期待しすぎないで」だったので、頭の中を訂正しておきました。

でも、この「期待しすぎないで」ってかなり難しい要求。人によって、どこからが「しすぎ」なのか判断が分かれると思うし、概ね「しすぎ」になる方々というのは、現時点での当事者(iPSに関しては難病を抱えている人々)になるのだろうし。

と、雑感だが。

タイトルのつけ方に恣意性が見える例:京大iPS細胞の広報@若だんなの新宿通信

という記事で、結論から言うと、どこにも「期待しないで」とは書いていない。

失礼いたしました。「期待しないで」ではなく「期待しすぎないで」ですね。「患者らの過剰な期待や誤解を解消」って話ね。

なるほど。タイトルに恣意性か。「科学」発信と「医療と介護」発信で違っていることにビックリ。タイトルは編集がつけるんだよね。

んで、ここからはワタシの妄想なんだけど。

科学の編集部は「釣ろう」と思ってタイトルを練ったというよりも、むしろ「期待しすぎの人が多くて困ってるんですよ」とか京大広報がポロッと本音を漏らしたのを、「科学」発信ではそのまま拝借したのかなと思う。まっ実際、釣られたんですが、つまり情報操作っていうよりも、そのまんまってこと。

んで、なぜ「科学」だけがこのタイトルを採用したかっていうと、それが研究現場(臨床現場ではない)の環境として最も優れているからだろう。外部が期待しすぎないで待っていてくれるってことって、フツーに考えても居心地がいい。

一方、「実現まだ先」をタイトルにした「医療・介護」。こちらは臨床現場で、そんなことは言っておられない。「期待しすぎる」人にとっては、いつ頃を目処にしてるのかが最も知りたいと思うんだけど、「生きてるうちには無理ですな」っていう現実を自ら悟れってことなら、意外と厳しい話だ。

次に。

【閑話休題】続・「期待しすぎないで」と発信する広報は成功するか@Science and Communication

がん化の可能性がどこまで低減できれば医療に応用しても許容されるか,といったリスクコミュニケーションさえもできていないんですけど.

たぶん考え方が違うのだけど。ワタシが思うに、患者の一人一人にガン化の可能性をしっかり説明でき了承を得られれば、少なくとも世間や社会の許容などは必要ないと思う。

という風に思う「ファン層」を確保しておくべきだと思う。

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コメント

科学発信と、医療発信のタイトルの違いへの考察、納得です。

記者が見ている方向が違うんですね。
科学者側からと、患者側(医療現場?)。

そう考えるとわかりやすい。デモ、それはニーズに沿ったタイトルということでしょうかね? 新聞社の親切なのかなあ?

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