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2008年7月 7日 (月)

情報と都市~カステルの所論をめぐって

カステルって誰?


という疑問は置いておいて。Photo


←山形さん翻訳の共著書





こちらは、たまたま見つけた本をネタにしたレポート。

情報と都市~カステルの所論をめぐって(2001年)


 都市の定義は広く学際的である。さまざまなレベルがあるため、どこに中心主題を求めるか、どの分野で研究されるかによって見解は分かれるだろう。都市が(国家に相対する)一つの小さな全体社会、つまり生活上の全必要を充足させるための最小限度の単位(コミュニティ)であるという定義も、今日の都市の多様な重層化、施設・機関、人々の行動活動・欲望の、一定の地域を越えた拡大状況を認めるならば、前提としてのその統一性や統合性を主張するのは困難である。しかし、「都市的なもの」への前提がなければ都市研究にこだわる意義はなく、地域学に還元されざるを得ない。ここでは「都市的なもの」を、その具体的指標として<地理的・物理的空間における移動性>という視点から、<集う場(中枢性)>と定義したうえで、情報化が<都市的なもの>に与える影響について、マニュエル・カステルの所論を検討してみたいと思う。



フローの空間


 マニュエル・カステルはその著『都市・情報・グローバル経済』において、世界各地の都市、地域が、経済のグローバリゼーションと社会のインフォーマリゼーションによって、どのように変容したかについて述べている。彼はこの中で、社会構造的な変容過程を説明し、「場所の空間からフローの空間へ」という言葉を示した。フローの空間とは何か。まずフローとは、経済学ではよく用いられる用語であるが、ここでは「社会の支配的な経済的、政治的、象徴的構造における社会的行為者によって担われている、物理的な意味ではつながりを解かれた位置のあいだでおこなわれる交換および相互作用の意図的、反復的、そしてプログラム可能な順序的連鎖」として理解されたい。情報社会の文脈でいくと「電子工学的ネットワーク」のことであろう。そしてフローの空間とは、「特定地域への集中配置などおかまいなしに、さまざまな場所のあいだに社会過程、経済過程、国家過程といった基礎的過程を構築している情報、資本、権力の交換システムを指している」と説明されている。すなわち「ネットワークのシステム化=サイバースペース」がフローの空間である。そしてこれは、「商業社会ないし産業社会の組織化において「都市」や「地域」が担っていたものに必肩すべき、一つの空間形態」であるとしている。ここで述べられているのは、<情報化の浸透による場所性の喪失>と言いかえることもできよう。つまり私がここで問題としている「地理的・物理的空間における移動性」という視点から見ると、彼の言説は、情報通信の発達により時間と空間が縮小し、それまでの立地論研究で考えられて来たような距離の抵抗が移動を規制するという理論を無意味として警告している。交通にかわってネットワークが、場所にかわってサイバースペースが、<都市>の機能や施設の立地を規定する割合が強まってゆく、という話につながるのである。例えば、世界中で流れているアメリカCNNテレビの本局は、ニューヨークでもシカゴでも、ワシントンでもなく、ジョージア州のアトランタにある。世界中から情報ネットワークを使って情報を集め、衛星を通じて放送するため、情報センターが大都市にある必要はないのである。



<都市>はどこへ行くのか?


 新しく登場する<都市>は、もはや場所性を必要としない。これは領土の概念をもとに全体論的観点を試みる地理学にしてみれば都市そのものの危機である。究極を言えば、本当に情報化がすすめば、都市はいらなくなるのだろうか。ネットワークだけあれば、別にどこが中心ということもなく均一に同質化され、ネットワークが中心ということになるのだろうか。いったいサイバースペースとは何だろう。例えば国家、地域といった政治学的な立場からインターネットと公共圏というような議論がなされることがある。インターネットの作り出すサイバースペースを、実際の物理的な都市空間のメタファーとして扱っているのだ。しかし、そのことにどういう意味があるのだろう。現実の都市を丸ごとインターネット上に取り込むのであれば面白いが、現実の都市と全く関係なければ、これが物理的な現実の都市空間に影響を与える可能性は低いのではないだろうか(実際、インターネットでの論議が政策に反映されているとは思えない)。


 また<交通の役割=情報通信の役割>ではない。この点は当然のはずだがそうではない言説も多い。情報通信の発達によって都市間距離はなくなった云々という話は、交通の役割を情報通信が100%代替していると考えているのではないだろうか。とはいえ、情報化により個人や企業が移動性そのものを変化させてゆく例があることも否定できない。例えば、SOHOやテレコミューティングといった形態は、近年のインターネットの普及によってもたらされた。東京の都心ではなく、都心と郊外部の境界周辺にSOHOが集まるビルが建設されているように、これらは都市の構造を変える可能性をもつかもしれない。しかしこれらもまだ、交通混雑の緩和、東京一極集中の是正、といった地理的・物理的な現実問題を解決するための官主導型の都市計画として発想されているにすぎない。いくらサイバースペースが発達しても、人間が実体的な存在である以上、<個人が生活し企業が活動する場>としての現実の都市空間を基準に考えざるを得ない。つまりカステルの言説は、あまりに悲観的であると私には思えるのである。



<集いの場>としての<都市>の役割


 この点についてカステルは、情報社会での都市の空間的特徴を「地域ならびに都市の生産力や競争力は、情報化能力、生活の質、それに国内外の各レベルで主要都市の中心を結んでいるネットワークとの連結性を協働させる能力によって決定される。」と定義している。ここで指摘されている<生活の質>は、まさしく彼が<個人が生活し企業が活動する場>としての現実の都市空間を基準に考えている証拠である。しかしそれは<都市>の<場所性>以外の価値基準、つまり<居場所>という価値基準によって導き出される空間的特徴なのであろう。これこそ新しい<都市>の概念を解く鍵であり、<都市>の存在意義ではないだろうか。人々は都市の果たす機能ではなく、<居場所(居心地)>という価値基準によって<都市>を選択し集まり得るのである。<居場所(居心地)>とは何か。最も重要と再認識されてきているのがコミュニティの成熟度だと言われている。


 一方、カステルは、「情報社会は.....究極的には、双対的二元都市の編成に導くものである。」という問題意識も指摘している。双対的二元都市とは「デュアル・シティ」の邦訳であるが、情報社会の進行によって、「都市社会構造が二元化」することを指摘するものである。ネットワークで世界とつながって生活している情報エリートのコスモポリタニズムと、周りの情報化により「深いアイデンティティ・クライシスを経験している地方志向的住民」とのあいだのコミュニケーションの欠如により、「フローの空間と場所の空間との緊張」が起こり、「新しいタイプの都市危機」が起こりつつあるとカステルは指摘する。つまり都市の住民すべてが世界のネットワークに組みこまれるわけではないのだから、カステルによると、最も重大な課題は、「都市のグローバル志向的な経済機能と、地域に根ざした社会そして文化との連接である」のだ。それはどうすれば可能か。当然ながら従来の国家・政府では「一連の問題や目的に対処」するのに適当ではない。そこで「地方政府を強化することは、かくして、ヨーロッパの都市を統制するための前提条件となる」とカステルは提案するのである。そしてその可能条件として、あくまでも行政区分(市・町・村)の中でのコミュニティへの市民参加の促進が訴えられる。もちろんバウンダリー(境目)を越えたコミュニティのあり方は、情報化社会において必然となるかもしれない。今後、地方自治体が考えるべきことは、バウンダリーにおいて行政による弊害をなるべく少なくするということだという意見もあるだろう。しかし今現在、バウンダリーは物理的に消滅していないのである。また、ここで求められる新しいコミュニティのカタチは従来の農村型のような地縁・血縁による結びつきではなく、単なる人間関係によって成り立つのでもない(パーク、ワーク、フィッシャーなどのアーバニズム論で語られるコミュニティではない)。それは個人によるコミュニティへの<主体的な責任と義務>によってのみ成立すると考えられている。そしてカステルは「地方自治体は市民社会(コミュニティ)の代表としてより決定的な役割を果たすことができるし、果たさなければならないのだ、と私は信じている」と述べるに至るのである。この見解を楽観的だと批判するのは容易だ。ポスト・モダニズムの観点からみると、これは権力に組みこまれることと同義であるかもしれない。しかし、私はカステルの意見に大きく賛成する。「フローの空間の出現によって投ぜられた、われわれの都市の意味....に対する根本的な挑戦的難題に注意を喚起するような、開かれた論争が開始されることを意図した」と告白するカステルの、地方自治体による「オルタナティブかつ現実主義的な政策が、フローの空間の内部に地域現場の社会的意味を再構築する」唯一の道であるとの訴えを危機感をもって受けとめなければいけないのではないかと思うからだ。カステルの提議する形態においてのみ、現実の都市は人々が<集う場>として「新しい社会ー空間構造」を成立させていけるのではないだろうか。


<参考文献>


『都市・情報・グローバル経済』 マニュエル・カステル著

『都市論のフロンティア』 吉原直樹・岩崎信彦編著

『現代都市を解読する』 鈴木広編著

『新都市誕生論』 伊藤滋・大都市生活構造研究会編著

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