« 村上さんのこと2 | トップページ | 今日も断念した »

2009年2月17日 (火)

オウム再考@阪大

オウム再考@阪大

別blogでとりあえずエントリーしてみたんだけど、こちらでは、ランダムにメモっとく。

●川村邦光かく語りき

89~90年までオトメ論をやって出てきた(注目された)。ポピュラー・カルチャー?カタカナにするとわかりにくいけど、民衆文化、大衆文化。宗教を特別視する必要はない。民衆文化の最先端として再考できる。思想というものはあるのかと問えばある、ぐらいなもの。

山折哲雄は浄土真宗の寺の次男。当時(サリン事件前の)麻原との対談ではけっこう評価していると読み取れるが、事件後評価が一変した。身体論に関して麻原に対する捉え方が変化したのか。対談についての総括はせず保身に走っただけなのか?マスコミへの態度にも問題あり。例えば「宗教に興味のないものには取材できない」という言い方。麻原を宗教者として見做してきたかどうかについて語っていない。

オウム真理教の面白さ。垂直関係(イニシエーション)のない現代において、それを作り上げたのは麻原の功績ではないか。イニシエーションとは元の社会から離れて新しい社会に入ること。宗教的なものに限らないはず、山折さんは評価しないが、むしろ儀礼的イベントは昔よりも盛んになっている。オウムのシステムは、段階的な修行をやれば自分を変えることができると謳っている。システマチックなイニシエーション。

早川と手紙のやり取り。サリン事件から10年の2005年に出版社からのプッシュがあり出版。

彼が何故オウムにのめりこんだか。現在の自分を変えたいと何故思ったか。

宗教の存在意義は貧乏人の救済だったが、現在では?ある社会学者は「たしなみ」であると断ずる。しかし、それならば体制補完的な役割。世界改革など無理。

精神を呪縛する宗教というイメージは単純すぎる。殺人事件の面のみスポットを当てることも、果たして適当なのか。

早川と新実。早川:実務(ワーク)ばかりで修行させてもらえなかった劣等感。麻原から次第に煙たがられるようになっていった。一連の事件にも参加させてもらえなかった。新実:麻原のクローン的存在。修行に専念。すべての事件に関わり、いまだ麻原に帰依。

●渡邊さんかく語りき

JR吹田駅前のオウム道場に取材体験あり。オウムを巡る5つの切り口。

1.神秘体験:修行のシステム。息を止めたりLSDを使ったりして幻影、幻想を引き起こす。リアリティの反転。現実は陰に過ぎず幻想内(現実)での犯罪は、リアル(修行)では救済となると説く。どの信者も、神秘体験を語りだすとイキイキとしている。グルイズム(教祖への依存)。現在もスピリチュアリティブーム。これはネオリベ体制を補完するもの。世俗的に幸せな人/世俗的に不幸せな人。世俗は幻想。

2.カルト宗教:ヒッピーカルチャー。東洋神秘思想。「ウッドストック」生き方と意味を求めて。単に音楽だけじゃない。グルの一人、ラジニーシ?:コミューンをつくり、近隣と敵対し武装化にいたる。1985年サルモネラ菌を使った化学テロ。ちょうど麻原が修行を始めた頃

3.サブカルチャー:80年代後半以降のジャパニメーション。ナウシカ、AKIRA。破滅の後の美しい光。93年頃「完全自殺マニュアル」。自己の終わりが世界の終わりになるという思想。

4.テロ:連合赤軍派。岡本公三。理想的な社会のイメージはない。破滅のイメージのみある。共産主義的べき論、弱い自己を克服して新しい自己に生まれ変わるべき。 

5.ナショナリズム:官庁制度。ゴッコ遊びか真剣か。わかりにくさのなかの捉えられなさ。天皇と呼ばせた。境界を越える地点が自分でもわからないこと。

●質問その他フリートーク:

宗教をカルトかカルトでないかで区別が可能か。カルト以外の宗教の価値とは。そういう宗教に意義はあるか。宗教学者としては意義があると言いたい。

カレーライス事件で読み取るべきは、俗物か権力者か。

テロとは何なのか?宗教の国際化とナショナリズムの並行性。80年代の日本の空気そのまま。

オウムへの批判の糸口をどのように探るのか。

オウムとそのほかの現象との関連をどう考えるのか。

松本サリン事件の被害者である河野さんが、オウム批判本を某宗教団体の出版社から出したことについて

民衆文化だったはずが、エリート救済になっていく契機があるのでは。選民思想があることカルトではないか。

差別することが宗教の大きな魅力でもある。階層化、組織への囲い込みによる安定。ただ、そういった宗教による歴史的役目は終わった。

民衆がいずれエリートになる契機には、ポピュラーの中にある集合的ルサンチマンに関わるのでは。

審美眼の証明。差別化はするが他者の承認は最低限必要なのでは。それは自分の有能感の証明として。

日常から切り離された神秘世界。出家修行。日本仏教への批判的行動は評価sれることだが、一方で企業的経営、お布施に頼らず、営利的行動。DIYはやるが農業はやらない。理系の人びと。

修行そのものも、信者をコントロールするための道具になっていった。競わせて劣等感を刺激させてコントロールする。

組織運営のための一定の収入は必要だが、あまりにお金儲けに走りすぎた?武装するために必要だったのだろう。

麻原のやりたかったことは?まずは小さな犯罪がバレなかったからエスカレートしていった。1999年へ至るための武装計画。次に何をやるかは考えていない。大規模テロの計画-アメリカ軍と自衛隊を動かすという計画があっととか言われている。

カリスマ的教祖の側にマネジメントできる人材が居るかどうかが巨大宗教団体になるかどうかのポイント。

入信した人たちは、社会に対するニヒリズムで宗教に走るのか。理系が多かったのは、合理的ななかに魔術的なものが入る隙間がある。

世俗的な要求がある人びとまでも、高潔な精神を求める宗教に入るのは何故か。例えば、創価学会による都市部貧困層へのリクルート。

阪神大震災の後、2ヶ月足らずの頃で、いったい何を大騒ぎしているのかと思っていた。今まで極力避けてきた話題。今だから冷静に話せるということはあるかもしれないが、オウムのことを何故ずっと考え続けているのか。

非常に平凡で凡庸で、あまりにも日本的な事件。同時代的。空気感。ボンヤリとした壊滅への欲望。

« 村上さんのこと2 | トップページ | 今日も断念した »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オウム再考@阪大:

« 村上さんのこと2 | トップページ | 今日も断念した »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

ツミボンの日々