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2014年7月

2014年7月31日 (木)

ブルーバタフライを買いました

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いつものように月に一度、志村のためにお花を買いました。(当日のつぶやきはこちら)(毎度毎度、日付誤魔化しすみませんm(__)m)

今月はブルーバタフライというお花。
正式には、クレロデンドルム・ウガンデンセ ‘ブルーウィング’という名前だそうです。
花言葉は大きな希望。
「ロックの詩人 志村正彦展」のwebページをバックに撮ってみました。(現在はページの色味をオレンジに変更されておられるようですが。)

ブルーバタフライという名前を聞いて思い浮かべたのは、こちら「音楽と人 2009年6月号」のインタビュー写真。。
このスイートな設定に露ほども負けていない妖精シムシム。。
そして、巨大バームクーヘンの横で手に斧をらしきものを持って素振りのポーズを披露する野球少年シムシム。。

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ずっとニヤニヤしていられますね。
こんなに男性の腰を凝視したのは漫画「あぶさん」以来ですw

さて、ニヤニヤしながらも、記事を久しぶりに読んでみた。
「CHRONICLE」発売に合わせて行われたインタビュー。志村日記を読むと取材を受けたのは2009年3月12日かな?「何を言っても」「見透かされ」、言うことを「まとめてもひっくり返される」と書いてる。「もっとほんとのことを言え」みたいに。。

。。で、このインタビューでほんとのことを語れたのかなぁ志村は。。
内容は「CHRONICLE」制作動機みたいなもの。一回全部を吐き出したいと思って作ったものだということ。
この1年前には「暗黒の1ヶ月」があり、それは志村日記でも公言していて、時期的にはちょうど富士吉田で凱旋ライブを終えた後、つまり2008年6月頃。
さらに、そこから1年遡った2007年頃は恋愛モードだったようで、その時の恋物語が見事にアンハッピーに終わって(暗黒の時期?)、そのカッコ悪さや自己嫌悪や落ち込みを包み隠さず吐き出した。
。。という話にまとまっている。

志村日記に何か恋愛の痕跡あるかなぁと読んでみたけど。。まぁないや。。

。。てか、「CHRONICLE」の制作動機って失恋なのか。。
ということは、このアルバムは志村なりに失恋に向き合った失恋ソング集なのかな。。
全然、気付かなかった。。ごめんよぉ志村。。
以前にもこのインタビュー記事を読んだはずだけど、脳が思いっきり無視してた。
違うんじゃないかなぁ。。と思いたがってるわたしがいて困る。今も。。
100歩譲ってそうなんだとしても、それだけとは到底思えない深みがあるじゃないのって。。これふつうのラブソングじゃないよ。

いやしかし、恋愛の悩みなんて安っぽいと言いたいわけではない。むしろ何故に、人生を変えるキッカケはいつも恋愛なのか。。と思う。まったく厄介だな。。
古今東西、若きウェルテルは悩みに悩んで、終いには、相手のこと以上に自分のことばかり考えてしまうのだ。。
どうしようもない純文学の状態なんだよなぁ。。

不器用じゃない普通の人は、絶対に欲しいモノをひとつになんて決めたりしないんだよ。自分がほんとうに欲しいものをあえて知ろうとはしないんだよ。それが手に入らないとき隣のもので我慢できるんだよ。それで傷ついたり落ち込んだりすることもないんだよ。

ばかだなぁ、きみは。そんなこと、最初から勝負がついているっていうのに。

2014年7月23日 (水)

ロックの詩人 志村正彦展 後編~展示室102

展示室102では、「若者のすべて」の歌詞の自筆草稿の展示がメインでした。

今回の志村正彦展に参加された方の多くが驚きとともにつぶやいておられましたが、私も例に漏れず。。

実は主催者の方と直接お話する機会があったのですが、その時に、「この草稿に偶然出逢ったことが今回の展示会を開催するきっかけであり原動力だった」というエピソードをお伺いし、まさしく偶然は、そこから必然を生み出すことの出来る人の前に立ち現れるんだなぁと深く胸に沁み入り、あぁ本当にヨカッタ!という気持ちでいっぱいになりました。

しかも今回、草稿を展示するだけでなく、決定稿に至るまでの詩作の過程を推論した仮説が展示されていたことにも目を見張りました。

解釈に正解はないですし内容について吟味するには記憶も不確かですので控えますが、こういった展示の手法は、まさに志村正彦の詞を文芸として捉え直し理解しようとする試み、つまり文学館のそれであったのだろうと思います。心から感服いたしました。

しかし、私は、確実にある種のショックを受けていました。
それはすぐには言葉にならず、2~3日してようやくツイッターにつぶやいたのですが。。

志村って作曲マシーンとたまに言ってたけど、作詞マシーンとは言ったことないよね。。とふと思う。

だけど、例えばくぼんげとかきっしーがあげてくる曲を職人技だなぁという感想を持つとして、志村の場合はどんなにテクニカルによく出来ていても、そういう風には思えなくて。。もちろん、マシーンとは思えない。

作詞はなおさらで。。
だから今回、「若者のすべて」の草稿から完成まで9割方のフレーズが推敲され書き換えられていたという事実にえもいわれぬ感情が渦巻いた。

これまで詩人の作業というのを辿ったことはないけど、小説家の草稿はたまに見る。9割違ったら別作品やんね。

でも不思議と若者のすべての世界観があった。それも濃厚に。プロトタイプの想いがあった。

いったい何にショックを受けて、えもいわれぬ感情とは何なのか、正しく言語化できるかというといまだにまったく自信がありませんが、とにかくランダムに想いを吐き出してみたいと思います。



草稿から決定稿への変わりようは想像をはるかに超えていました。まず、そのことに驚愕したというのはあります。

実際に表現された言葉の背景に幾重にも積み重なる言葉の重さと深さ。。

しかし、「別作品やんね」とつぶやいたように、ここまで変えようと、いや変わろうと思ったキッカケは何だったのかということにも想いを馳せずにはおれません。

「若者のすべて」についてのインタビューで
一番言いたいことは最後の < すりむいたまま 僕はそっと歩き出して >っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。(『音楽と人』2007年12月所収)
と語っているのもあり、ものすごく気になるところです。

また前提として、芸術全般における、いや特に詩作における推敲という行為について、私自身どこか懐疑的な思いがあったことも確かです。

ある方がツイッターで「あの曲ではストーリー性を重視するために自我を消していったのかな」とつぶやいていましたが、否応なく自身から滲み出る言葉を、冷徹に精査して削っていく作業の厳しさと危うさを思い、そのこと自体に心がざわついて居た堪れなくなったということもあります。。

芸術には完成品も正解もないはずですが、彼にはまるで「素晴らしい完成品」が見えていたかのようです。。プロの「作詞家」たるべくあろうとした。。のかな?とも思いました。

次のブログでは、この詩作の過程を、彫り出す作業・彫塑(ちょうそ)だと表現しておられます。

素晴らしい分析だと思いました。しかし何かひっかかるナ。。と、つぶやいたのはこれ。

草稿すごかった。そこからの推敲はまさしくプロフェッショナル。いやしかし、そこからの「CHRONICLE」なんだよな。

何故、次が「CHRONICLE」だったんだろう。

「CHRONICLE」は推敲されなかっただろうと言うつもりはありませんが、明らかにその質感は違います。制作過程も違うのではないか。。

私が志村正彦の作品に自分勝手に共感したり、たまに心を刳られるような激しい思慕を抱くのは、何か存在の根源的なものへの執着と焦燥感を掻き立てられるからなんです。

これは彼が作る詞だけではなく、メロディと声を伴ったものとして享受しているのであり、さらにはライブ映像やメディアで見られる言動とそのトーン、そして何よりも今現在において本人が不在であるという決定的な事実を含めて醸成されたマボロシであるかもしれません。


しかし、どうしようもなく続いている、このリアルな魂の揺さぶられ感を、どうにか理解したい。。


2年ほど前、ある写真展にお邪魔したときに、これは理解に近づくヒントになるかもしれないと思ったことがあります。そのときの感想ツイート。。

ふぅ。。なんかね。瞬間をとらえると、あまりにもとらえすぎると、そこから巻き戻されるんだなって思った。これはほめことばだよ。

巻き戻され解かれる感覚だ。フラッシュバックされる物語だ。動が静に。静が動に。流れは逆になって、ほらキミが現れる。

まったく感覚的なものでしかないのですが、一方の「若者のすべて」には、フラッシュバックされる物語ではなくて、此処から今から紡ぎはじめようとする物語があるように思います。
そしてそれを彼は一連の推敲の中で得ていったのだと今回わかりました。

彼は「物語が必要」で「センチメンタルになりたくて、この曲を作った」とあるインタビューで語っていますが、そのために様々な工夫をこらしていったのだと今回わかりました。

例えば非常に効果的な小道具の登場。。
もちろん、それまでの詩作の中にも小道具的ワードはありますが、先ほどの写真の話になぞらえると、それまでは「静物が動いている状態」か「動物が止まっている状態」だったように思います。


しかし、「若者のすべて」は、動物が当たり前に動こうとしている物語で、そのために小道具などのあらゆる工夫をしつらえた。

それは虚なのか実なのか。。と。。

そんなことを思ってしまいました。。


もちろん、出来上がった歌詞は何度も読み返したくなるほど、味わい深いものに仕上がってます。まさに天才なんだなぁ。。



あー、やっぱりまとまらない!支離滅裂過ぎて笑えますね。。

ここ最近ほぼ思考していない私ですので、練習編ということでお許しを。。

そんな私でも思考せずにはいられないほどの素晴らしい展示だったということです。


最後に、偶景webさん(今回の主催者の方)の志村正彦ライナーノーツ「若者のすべて」論に多大な影響を受けていることを告白しつつ。。(今さらですが)


。。いったん終了しようと思います。



次回はフォーラムの報告をします。。そして、少し更新が遅れると思いますが改めてチャレンジしたいと思います。お待ちください。

(続く)

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2014年7月21日 (月)

「ロックの詩人 志村正彦展」後編~展示室101

甲府の山梨県立図書館は、館内にお洒落なカフェもあるすごく居心地のよい図書館で、私は結局、午前中の早い時間から閉館近くまでずっと図書館にいました。

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朝一にホテルをチェックアウトして、ひとまず会場を下見。まだ列にはなっていなかったので、界隈にあった太宰治ゆかりの場所までぶらりとお散歩しようと図書館を出たところの駐車場で、車から大量の荷物を下ろして居られたご夫婦に何気なしに道を訊ねたんですが。。

これが志村くんのご両親でした。。

なんたること!!目が悪くて近くに行くまでまったく気付かなかった私。。
恥ずかしくて額から汗が噴出でした。。
しかも、志村くんのお母様は私のことを覚えて下さっていて。。
「自転車でお墓参りに来てくれた方ですよね」ってw

いや、あのですね。。
富士山駅の観光案内所で自転車をお借りしてそれを使って富士吉田市内を存分に走り回ったことが一度だけありまして。。その時にたまたまお会いする機会があったのですが。。その印象が強く残っておられるのでしょうね。。(/ー\*)あぁ。。

いや、なんにしても覚えてくださっていたことは有難いことで、とても嬉しかったです(*´Д`*)


では、展示の内容についてさくっとご紹介。(記憶違い、思い込みがあるかもしれません。。)

展示室は2つに分かれておりました。
展示室101は、生い立ちやバンド結成の経緯がとても丁寧に念入りにパネルにまとめられたものが順路に沿って壁沿いに配置されていました。


幼い頃の秘蔵写真や雑誌等から抜粋したアーティスト写真・インタビュー記事、志村日記からの引用、初代「富士ファブリック」名義時代のメンバーからのお言葉やご両親からのお言葉、高校のクラス担任の恩師(美術担当)からのお言葉と肖像画。。

さらにそれらを補強するかのように展示室中央のショーケースに飾られていた貴重な資料類。

幼稚園の頃の手形や、なりたい職業「やおやさん」と書かれたメモ、学級代表をやってた小学生の頃の学級新聞。。ご両親はひとつひとつ大切に取っておられるんだなぁと思い胸が熱くなりました。。


幼い頃の彼に音楽家になる気配は皆無でした笑。
なりたかったのは「かいぞうプロ」や「かりうど」など摩訶不思議なものでしたが、もうひとつ、文章のレイアウトというか文字配列も、これはもう見て頂くしかないのですが、まったくデザイナー的センスはない(断言w)けど思わず注目してしまう不思議さ。。神の域を感じましたw

運動会で応援団をした時に書いた学園天国の替え歌(もちろん自筆)は、おそらく志村正彦、人生最初の作詞だろうということで感慨深かったです。しかし、あの席を→あの旗を。。と、まぁまぁオーソドックスな替え歌でしたw

それから、プロデビューするまでの経緯で、前メンバー時(インディーズ・第二期フジファブリック時代)に発行された赤富士通信を初めて拝読することが出来ました。前キーボードの方の、不本意感がありありと伺える脱退コメントがそのまま載ってました。。さらに、インディーズ・第二期フジファブリック時代のラストライブのチラシもあった。。

彼にとっては、この三つの各々が重要な価値を持っている。「富士ファブリック」と「インディーズ・フジファブリック」は「解散」した。(メンバー交代したと言うよりも「解散」という表現の方が的確だと私は考える)。その後、プロフェッショナルなロックバンドとして、志村正彦自身がプロデュースしたのが、2004年4月14日に『桜の季節』でデビューしたフジファブリックだ。歌詞も楽曲も独創的で演奏技術も高度なロックバンドの誕生だ。そのこと自体は極めて高く評価されるべきであり、祝福されるべきだ。  だが反面、志村正彦が失ったものも確実にあることは記しておかねばならない。そのことを彼は何度か語っている。このことは稿を改めて、「志村正彦ライナーノーツ」に書いてみたい。(偶景web [ 志村正彦 LN77 ] より)

。。と、主催者の方のブログから引用させていただきましたが。。
フジファブリックについて語る時、現メンバーになってから、つまりメジャー1stの「フジファブリック」を起点にする方がたまに居られるのですが、インディーズ時代の2枚を含めない評価はフジファブリックの、あるいは志村正彦の音楽について重要な点を見逃しているんじゃないかなって私は思います。。メジャーデビュー前後で区切って別々に評価することも出来るかもしれないけど、インディーズの頃の楽曲をメジャー後も大事にして新しいアレンジで復活させてきたことは、彼自身が別々と考えていなかった証しじゃないかしら。。

しかし一方で、上記引用にあるように、このバンド遍歴が単なるメンバー交代ではなく「解散」と呼ぶにふさわしいもののようにも実は私自身もそう感じている。何故なのか。。改めて問いを与えられた気がします。。




展示室101の最後の写真は、2009年12月23日付けのものでした。
何かの飲み会の風景で、彼が珍しく?大笑いしている写真でした。

でも、この写真、ちらっとしか見れなかったな。

その代わりに、隣で流れ続けていたライブの映像を食い入るように見てました。。
しばらくその場を離れることができませんでした。

(続く)

2014年7月20日 (日)

「ロックの詩人 志村正彦展」前編

さて、開催されたのは7月12日・13日の2日間でしたが、私は12日にまず富士吉田に寄ってから夕方に甲府へ移動して13日に参加しました。

12日に参加している方々の「長蛇の列、1~2時間待ち」という悲痛とも歓喜とも思えるツイートを読みニヤニヤしつつ富士吉田巡り。

久しぶりにご挨拶した富士山は、最初はお隠れ気味でしたが、たくみうどんさんで遅めの昼食をいただき、いつもの場所へ向かう頃には、少しお顔を見せてくれました。。嬉しかった。ありがとうね志村!

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いつものノートを書きに行ったら、すでに何名か待っておられて、フジファブリックに出逢った経緯などしみじみと語り合っておられました。

皆さんいろいろな出逢いと想いがあるんだなぁと今更ながら感じ入りつつ傍で聞きつつのひととき。。

私が何度もひとり旅で富士吉田に行けているのは、いつ訪ねて行っても居心地のいい場所であり続けてくれる大正寺さんのおかげだなぁと改めて思いました。。ほんとうに感謝だなって。。

。。と、いつも以上に存分にくつろいだ富士吉田でした。
ちょっと仕事やら何やらで消耗していたというのはあるけど。。くつろぎ過ぎて、いつもの丘に登る気力が無くなっちゃったw


そんなわけで。。久しぶりに月江寺から富士急で富士山駅まで行ったら。。

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いました。いました。


富士吉田の街、あらゆるところにいましたから、ここにもいるかもしれないと容易に予測できたけど、何故か私は感動していた。。

一本前のバスに乗れれば閉館15分前に甲府に着くからギリギリ滑り込みで見に行こうかなと無謀にも思ったり、そんな自分のアイデアにおかしくなってニヤニヤして。。
結局、展望デッキでのんびりしたりお土産買ったりと何となく時間つぶししちゃったけど。。

行きたいような行きたくないような気分だったのかな今思うと。。終わってほしくないという防御反応だったのかもしれません。。ええ、行く前からw

実際、たった2日間で終わってしまうのはほんとうに勿体無いと思った展示内容でした。

視覚的で直感的な刺激があり、そこから想像や推論を促される余地があり、もっと彼を理解したいという想いを喚起させてくれる発見があり。。

何より主催者自身が驚きと刺激を受けていたに違いないと思われるような。。そんな展示でした。

これもライブということかもしれません。。勿体ないけど終わってしまうライブ。
受け取ったひとりひとりがその記憶を反芻して、拡げていくことで生き続けるんだなって。

(続く)

「ロックの詩人 志村正彦展」が終わった。。

もう早や一週間経ってしまいましたね。。
山梨への旅、すごく濃密な2日間でした。。

とにかくすばらしい展示とフォーラムでした。
この感動をどのように伝えればいいのかな。。
いろいろ考えたんですが、まぁ気負わずにレポすりゃいいやん。。
で、結局いつものノリの旅行記になりそうな。。苦笑

ただ、これだけは最初に真面目に言っておかねば。
主催者の方々と、ご協力くださった志村くんのご両親に
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました。


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