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2014年7月21日 (月)

「ロックの詩人 志村正彦展」後編~展示室101

甲府の山梨県立図書館は、館内にお洒落なカフェもあるすごく居心地のよい図書館で、私は結局、午前中の早い時間から閉館近くまでずっと図書館にいました。

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朝一にホテルをチェックアウトして、ひとまず会場を下見。まだ列にはなっていなかったので、界隈にあった太宰治ゆかりの場所までぶらりとお散歩しようと図書館を出たところの駐車場で、車から大量の荷物を下ろして居られたご夫婦に何気なしに道を訊ねたんですが。。

これが志村くんのご両親でした。。

なんたること!!目が悪くて近くに行くまでまったく気付かなかった私。。
恥ずかしくて額から汗が噴出でした。。
しかも、志村くんのお母様は私のことを覚えて下さっていて。。
「自転車でお墓参りに来てくれた方ですよね」ってw

いや、あのですね。。
富士山駅の観光案内所で自転車をお借りしてそれを使って富士吉田市内を存分に走り回ったことが一度だけありまして。。その時にたまたまお会いする機会があったのですが。。その印象が強く残っておられるのでしょうね。。(/ー\*)あぁ。。

いや、なんにしても覚えてくださっていたことは有難いことで、とても嬉しかったです(*´Д`*)


では、展示の内容についてさくっとご紹介。(記憶違い、思い込みがあるかもしれません。。)

展示室は2つに分かれておりました。
展示室101は、生い立ちやバンド結成の経緯がとても丁寧に念入りにパネルにまとめられたものが順路に沿って壁沿いに配置されていました。


幼い頃の秘蔵写真や雑誌等から抜粋したアーティスト写真・インタビュー記事、志村日記からの引用、初代「富士ファブリック」名義時代のメンバーからのお言葉やご両親からのお言葉、高校のクラス担任の恩師(美術担当)からのお言葉と肖像画。。

さらにそれらを補強するかのように展示室中央のショーケースに飾られていた貴重な資料類。

幼稚園の頃の手形や、なりたい職業「やおやさん」と書かれたメモ、学級代表をやってた小学生の頃の学級新聞。。ご両親はひとつひとつ大切に取っておられるんだなぁと思い胸が熱くなりました。。


幼い頃の彼に音楽家になる気配は皆無でした笑。
なりたかったのは「かいぞうプロ」や「かりうど」など摩訶不思議なものでしたが、もうひとつ、文章のレイアウトというか文字配列も、これはもう見て頂くしかないのですが、まったくデザイナー的センスはない(断言w)けど思わず注目してしまう不思議さ。。神の域を感じましたw

運動会で応援団をした時に書いた学園天国の替え歌(もちろん自筆)は、おそらく志村正彦、人生最初の作詞だろうということで感慨深かったです。しかし、あの席を→あの旗を。。と、まぁまぁオーソドックスな替え歌でしたw

それから、プロデビューするまでの経緯で、前メンバー時(インディーズ・第二期フジファブリック時代)に発行された赤富士通信を初めて拝読することが出来ました。前キーボードの方の、不本意感がありありと伺える脱退コメントがそのまま載ってました。。さらに、インディーズ・第二期フジファブリック時代のラストライブのチラシもあった。。

彼にとっては、この三つの各々が重要な価値を持っている。「富士ファブリック」と「インディーズ・フジファブリック」は「解散」した。(メンバー交代したと言うよりも「解散」という表現の方が的確だと私は考える)。その後、プロフェッショナルなロックバンドとして、志村正彦自身がプロデュースしたのが、2004年4月14日に『桜の季節』でデビューしたフジファブリックだ。歌詞も楽曲も独創的で演奏技術も高度なロックバンドの誕生だ。そのこと自体は極めて高く評価されるべきであり、祝福されるべきだ。  だが反面、志村正彦が失ったものも確実にあることは記しておかねばならない。そのことを彼は何度か語っている。このことは稿を改めて、「志村正彦ライナーノーツ」に書いてみたい。(偶景web [ 志村正彦 LN77 ] より)

。。と、主催者の方のブログから引用させていただきましたが。。
フジファブリックについて語る時、現メンバーになってから、つまりメジャー1stの「フジファブリック」を起点にする方がたまに居られるのですが、インディーズ時代の2枚を含めない評価はフジファブリックの、あるいは志村正彦の音楽について重要な点を見逃しているんじゃないかなって私は思います。。メジャーデビュー前後で区切って別々に評価することも出来るかもしれないけど、インディーズの頃の楽曲をメジャー後も大事にして新しいアレンジで復活させてきたことは、彼自身が別々と考えていなかった証しじゃないかしら。。

しかし一方で、上記引用にあるように、このバンド遍歴が単なるメンバー交代ではなく「解散」と呼ぶにふさわしいもののようにも実は私自身もそう感じている。何故なのか。。改めて問いを与えられた気がします。。




展示室101の最後の写真は、2009年12月23日付けのものでした。
何かの飲み会の風景で、彼が珍しく?大笑いしている写真でした。

でも、この写真、ちらっとしか見れなかったな。

その代わりに、隣で流れ続けていたライブの映像を食い入るように見てました。。
しばらくその場を離れることができませんでした。

(続く)

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