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2015年7月22日 (水)

路地裏の僕たち上映会に行ってきた

行ってきました。1年ぶりの富士吉田。

TAIFUが南の方で発生していたので、そのスピードが早ければどうなるのかな。。と心配しましたが見事な快晴。「は~い、か~いせ~い♪」 

えらいよ志村。ありがとう。

 

午前中は太宰ゆかりの峠の茶屋「天下茶屋」へ。これまで何度も富士吉田を訪れながら行けてなかったので行っとくかと。。

実は、生誕100年には津軽を巡ったほどの自称・太宰ファンなのです。。富士吉田を初めて訪れた時に月江寺駅にある案内所でポスターを見つけて、太宰にもゆかりのある土地なんだぁと余計に嬉しくなったのでした。昨年の夏に「ロックの詩人 志村正彦展」があったときは甲府での太宰の住まい跡、よく訪れていたという銭湯、神社を巡りましたよ。笑。

そんなわけで今回の富士山は、いつもの丘からではなく御坂峠からの富士山でございますが、お見事な眺望を見せてくれたし(志村ありがと~)、天下茶屋で頂いた山菜とろろ蕎麦と芋団子はとても美味しかった(太宰ありがと~)。

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だけど、Fujifabric International Fan Siteさんのレポートを読んだら、あ~、やっぱり朝一から上映会に行っておくべきだったか。。と少々後悔気味。。

はい、下吉田第一小学校の校歌、聴きたかったよぉ。。児童会長さんや恩師のお話も聞きたかったよぉ。。三部に、しかも少し遅れて行ったので、雅人隊長のお話も最後しか聞けませんでしたし、志村商店はすでに店じまい。。いやはや。。

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天下茶屋から河口湖へバスで。河口湖駅でお土産を選んでいたら一本乗り過ごしてしまい富士山駅に着いたのがすでに13時すぎ。大慌てでクリフさんでお花を買ってキミのところへ向かった。

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途中、会場となる下一小の横道を通ったら、第二部の上映中で、キミのMCが大きく漏れ聞こえてきて、思わず校門の外で立ち止まって会場を呆然と眺めました。

なんか、ほんとに、そこに、すぐそこに、キミが来ているかのような感覚が一気に膨れ上がって、文字通り息を飲んで鼓動が高鳴って、確かめに行きたい、でも行っちゃダメ。。ドキドキドキドキ。。てな気持ちになった。。

それから、会場前のテントで休んでおられたスタッフの方が手を振ってくれていることに気づいたので、スタッフの方にオドオドと会釈をして、行き先を指差しながら「後で」と小さくつぶやきながらその場を立ち去りました。苦笑。。

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キミのところへ。

来る途中でイヤホンを溝に落としてしまったので、恒例のシャッフルはできませんでした。そして今回、何故かチャッカマンの着火がよくなくて、他のお参りの方々にご迷惑をおかけしました。。

しかし、そのおかげでというのか、たまたま、ゆかりの方と一緒になり思い出話を聞くという貴重な体験をしました。その方に「わたし、インディーズの頃の作品がとにかく好きなのです」と伝えることができた。ほんとうによかった。珍しくしっかりと思いを伝えることが出来たのは、チャッカマンの着火がよくなくて時間があったおかげかなと思います。これもキミの計らいかなと思います。えへへ。

ノートにももちろん書いて来ました。大正寺さんって本当にいつ伺っても居心地がいい。ほんの休憩のつもりが長居し過ぎてしまいますね。笑。

 

そうこうしてたら、第三部の始まりが間近となって慌てて飛び出した。

会場に入ったら広い体育館の床がほぼ埋まっている状態でした。奥や前まで行けずに入口近くに座り込んだ。

始まったぁ~~。(*´ェ`*)ドキドキドキドキ

まず、音質や画質が想像以上に良くて酔いしれました。外にも大きく音漏れするほどの爆音が会場に充満しているのですが、聴覚・視覚だけでなく身体全体で受け止められるような感覚でした。おそらく床の振動がそのひとつの要因なのだと思いますが、音楽に、志村の声に、くるりと包み込まれているような心地よさでした。ここスタンディングしたいなぁと思った部分もあったけど、今よく考えると床にペタリと座っていたからこそ味わえた貴重な身体感覚かもしれません。

今回、ポスターやチラシのデザインではあの柴宮夏希さんが協力されていますし、この音響や映像は確か「富士吉田に映画館をつくる会」という活動をされている方が担当してくださったようで、ツイッターでもつぶやきましたが、今後、「(志村正彦率いる)路地裏の僕たち」の活動がどう面白く広がっていくのか、ますます楽しみになりましたし、何より路地裏メンバーたちの愛が溢れまくっている人海戦術的広報のパワーは健在でした。もうこのチラシの連打を見るたび、頬がほころんで仕方がありませんでした。泣笑。

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帰り間際、お母さまに再びお会い出来て「ほんとうにありがとうございました」とご挨拶したら、「こちらこそ今回も来てくれてありがとう。また来てくださいね」と丁寧に言っていただき、たくさんの方にお会いになっているだろうに、私のような者も覚えてくださっていてとても感激しました。そして、お母さまが「いい会だったわ~」と喜んでいらしたのが、ほんとうによかった。

 

 

そしてそして、志村正彦さま。

何度も観ているDVDに改めて感動して涙を流すことができると教えてくれて感謝です。そんな同じ時間と空間を共有した方々と巡り合わせてくれて感謝です。

 

以前。。フジファブリック以前に、もうひとつのブログで、私はこんなことを書きました。

このblogも、知人にはあまり知らせていないので、おそらく読んでくださっているのは、見ず知らずの人々が多いのだろうと思います。ほんとうに、いつもありがとうございます。今年読んだ本の印象的 ななかからのフレーズを最後に。

私たちと何も共有するもののない―人種的つながりも、言語も、宗教も、経済的な利害関係もない―人びとの死が、私たちと関係している。この確信が、今日、多くの人びとのなかに、ますます明らかなかたちで広がりつつあるのではないだろうか?
 (『何も共有していない者たちの共同体』 アルフォンソ・リンギス)

 

 

そう。。今ようやくこの意味がわかるような気がしています。

何も共有するモノ・コトのない私が、今は少し違ってきてるのかなと思っているよ。

志村、ありがとね。

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みんなで校庭に出て「若者のすべて」のチャイムを聴いているとき眺めた空色。その後で、雅人隊長の打ったボールが描いた放物線。。目に焼きついてます。

2014年7月23日 (水)

ロックの詩人 志村正彦展 後編~展示室102

展示室102では、「若者のすべて」の歌詞の自筆草稿の展示がメインでした。

今回の志村正彦展に参加された方の多くが驚きとともにつぶやいておられましたが、私も例に漏れず。。

実は主催者の方と直接お話する機会があったのですが、その時に、「この草稿に偶然出逢ったことが今回の展示会を開催するきっかけであり原動力だった」というエピソードをお伺いし、まさしく偶然は、そこから必然を生み出すことの出来る人の前に立ち現れるんだなぁと深く胸に沁み入り、あぁ本当にヨカッタ!という気持ちでいっぱいになりました。

しかも今回、草稿を展示するだけでなく、決定稿に至るまでの詩作の過程を推論した仮説が展示されていたことにも目を見張りました。

解釈に正解はないですし内容について吟味するには記憶も不確かですので控えますが、こういった展示の手法は、まさに志村正彦の詞を文芸として捉え直し理解しようとする試み、つまり文学館のそれであったのだろうと思います。心から感服いたしました。

しかし、私は、確実にある種のショックを受けていました。
それはすぐには言葉にならず、2~3日してようやくツイッターにつぶやいたのですが。。

志村って作曲マシーンとたまに言ってたけど、作詞マシーンとは言ったことないよね。。とふと思う。

だけど、例えばくぼんげとかきっしーがあげてくる曲を職人技だなぁという感想を持つとして、志村の場合はどんなにテクニカルによく出来ていても、そういう風には思えなくて。。もちろん、マシーンとは思えない。

作詞はなおさらで。。
だから今回、「若者のすべて」の草稿から完成まで9割方のフレーズが推敲され書き換えられていたという事実にえもいわれぬ感情が渦巻いた。

これまで詩人の作業というのを辿ったことはないけど、小説家の草稿はたまに見る。9割違ったら別作品やんね。

でも不思議と若者のすべての世界観があった。それも濃厚に。プロトタイプの想いがあった。

いったい何にショックを受けて、えもいわれぬ感情とは何なのか、正しく言語化できるかというといまだにまったく自信がありませんが、とにかくランダムに想いを吐き出してみたいと思います。



草稿から決定稿への変わりようは想像をはるかに超えていました。まず、そのことに驚愕したというのはあります。

実際に表現された言葉の背景に幾重にも積み重なる言葉の重さと深さ。。

しかし、「別作品やんね」とつぶやいたように、ここまで変えようと、いや変わろうと思ったキッカケは何だったのかということにも想いを馳せずにはおれません。

「若者のすべて」についてのインタビューで
一番言いたいことは最後の < すりむいたまま 僕はそっと歩き出して >っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。(『音楽と人』2007年12月所収)
と語っているのもあり、ものすごく気になるところです。

また前提として、芸術全般における、いや特に詩作における推敲という行為について、私自身どこか懐疑的な思いがあったことも確かです。

ある方がツイッターで「あの曲ではストーリー性を重視するために自我を消していったのかな」とつぶやいていましたが、否応なく自身から滲み出る言葉を、冷徹に精査して削っていく作業の厳しさと危うさを思い、そのこと自体に心がざわついて居た堪れなくなったということもあります。。

芸術には完成品も正解もないはずですが、彼にはまるで「素晴らしい完成品」が見えていたかのようです。。プロの「作詞家」たるべくあろうとした。。のかな?とも思いました。

次のブログでは、この詩作の過程を、彫り出す作業・彫塑(ちょうそ)だと表現しておられます。

素晴らしい分析だと思いました。しかし何かひっかかるナ。。と、つぶやいたのはこれ。

草稿すごかった。そこからの推敲はまさしくプロフェッショナル。いやしかし、そこからの「CHRONICLE」なんだよな。

何故、次が「CHRONICLE」だったんだろう。

「CHRONICLE」は推敲されなかっただろうと言うつもりはありませんが、明らかにその質感は違います。制作過程も違うのではないか。。

私が志村正彦の作品に自分勝手に共感したり、たまに心を刳られるような激しい思慕を抱くのは、何か存在の根源的なものへの執着と焦燥感を掻き立てられるからなんです。

これは彼が作る詞だけではなく、メロディと声を伴ったものとして享受しているのであり、さらにはライブ映像やメディアで見られる言動とそのトーン、そして何よりも今現在において本人が不在であるという決定的な事実を含めて醸成されたマボロシであるかもしれません。


しかし、どうしようもなく続いている、このリアルな魂の揺さぶられ感を、どうにか理解したい。。


2年ほど前、ある写真展にお邪魔したときに、これは理解に近づくヒントになるかもしれないと思ったことがあります。そのときの感想ツイート。。

ふぅ。。なんかね。瞬間をとらえると、あまりにもとらえすぎると、そこから巻き戻されるんだなって思った。これはほめことばだよ。

巻き戻され解かれる感覚だ。フラッシュバックされる物語だ。動が静に。静が動に。流れは逆になって、ほらキミが現れる。

まったく感覚的なものでしかないのですが、一方の「若者のすべて」には、フラッシュバックされる物語ではなくて、此処から今から紡ぎはじめようとする物語があるように思います。
そしてそれを彼は一連の推敲の中で得ていったのだと今回わかりました。

彼は「物語が必要」で「センチメンタルになりたくて、この曲を作った」とあるインタビューで語っていますが、そのために様々な工夫をこらしていったのだと今回わかりました。

例えば非常に効果的な小道具の登場。。
もちろん、それまでの詩作の中にも小道具的ワードはありますが、先ほどの写真の話になぞらえると、それまでは「静物が動いている状態」か「動物が止まっている状態」だったように思います。


しかし、「若者のすべて」は、動物が当たり前に動こうとしている物語で、そのために小道具などのあらゆる工夫をしつらえた。

それは虚なのか実なのか。。と。。

そんなことを思ってしまいました。。


もちろん、出来上がった歌詞は何度も読み返したくなるほど、味わい深いものに仕上がってます。まさに天才なんだなぁ。。



あー、やっぱりまとまらない!支離滅裂過ぎて笑えますね。。

ここ最近ほぼ思考していない私ですので、練習編ということでお許しを。。

そんな私でも思考せずにはいられないほどの素晴らしい展示だったということです。


最後に、偶景webさん(今回の主催者の方)の志村正彦ライナーノーツ「若者のすべて」論に多大な影響を受けていることを告白しつつ。。(今さらですが)


。。いったん終了しようと思います。



次回はフォーラムの報告をします。。そして、少し更新が遅れると思いますが改めてチャレンジしたいと思います。お待ちください。

(続く)

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2014年7月21日 (月)

「ロックの詩人 志村正彦展」後編~展示室101

甲府の山梨県立図書館は、館内にお洒落なカフェもあるすごく居心地のよい図書館で、私は結局、午前中の早い時間から閉館近くまでずっと図書館にいました。

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朝一にホテルをチェックアウトして、ひとまず会場を下見。まだ列にはなっていなかったので、界隈にあった太宰治ゆかりの場所までぶらりとお散歩しようと図書館を出たところの駐車場で、車から大量の荷物を下ろして居られたご夫婦に何気なしに道を訊ねたんですが。。

これが志村くんのご両親でした。。

なんたること!!目が悪くて近くに行くまでまったく気付かなかった私。。
恥ずかしくて額から汗が噴出でした。。
しかも、志村くんのお母様は私のことを覚えて下さっていて。。
「自転車でお墓参りに来てくれた方ですよね」ってw

いや、あのですね。。
富士山駅の観光案内所で自転車をお借りしてそれを使って富士吉田市内を存分に走り回ったことが一度だけありまして。。その時にたまたまお会いする機会があったのですが。。その印象が強く残っておられるのでしょうね。。(/ー\*)あぁ。。

いや、なんにしても覚えてくださっていたことは有難いことで、とても嬉しかったです(*´Д`*)


では、展示の内容についてさくっとご紹介。(記憶違い、思い込みがあるかもしれません。。)

展示室は2つに分かれておりました。
展示室101は、生い立ちやバンド結成の経緯がとても丁寧に念入りにパネルにまとめられたものが順路に沿って壁沿いに配置されていました。


幼い頃の秘蔵写真や雑誌等から抜粋したアーティスト写真・インタビュー記事、志村日記からの引用、初代「富士ファブリック」名義時代のメンバーからのお言葉やご両親からのお言葉、高校のクラス担任の恩師(美術担当)からのお言葉と肖像画。。

さらにそれらを補強するかのように展示室中央のショーケースに飾られていた貴重な資料類。

幼稚園の頃の手形や、なりたい職業「やおやさん」と書かれたメモ、学級代表をやってた小学生の頃の学級新聞。。ご両親はひとつひとつ大切に取っておられるんだなぁと思い胸が熱くなりました。。


幼い頃の彼に音楽家になる気配は皆無でした笑。
なりたかったのは「かいぞうプロ」や「かりうど」など摩訶不思議なものでしたが、もうひとつ、文章のレイアウトというか文字配列も、これはもう見て頂くしかないのですが、まったくデザイナー的センスはない(断言w)けど思わず注目してしまう不思議さ。。神の域を感じましたw

運動会で応援団をした時に書いた学園天国の替え歌(もちろん自筆)は、おそらく志村正彦、人生最初の作詞だろうということで感慨深かったです。しかし、あの席を→あの旗を。。と、まぁまぁオーソドックスな替え歌でしたw

それから、プロデビューするまでの経緯で、前メンバー時(インディーズ・第二期フジファブリック時代)に発行された赤富士通信を初めて拝読することが出来ました。前キーボードの方の、不本意感がありありと伺える脱退コメントがそのまま載ってました。。さらに、インディーズ・第二期フジファブリック時代のラストライブのチラシもあった。。

彼にとっては、この三つの各々が重要な価値を持っている。「富士ファブリック」と「インディーズ・フジファブリック」は「解散」した。(メンバー交代したと言うよりも「解散」という表現の方が的確だと私は考える)。その後、プロフェッショナルなロックバンドとして、志村正彦自身がプロデュースしたのが、2004年4月14日に『桜の季節』でデビューしたフジファブリックだ。歌詞も楽曲も独創的で演奏技術も高度なロックバンドの誕生だ。そのこと自体は極めて高く評価されるべきであり、祝福されるべきだ。  だが反面、志村正彦が失ったものも確実にあることは記しておかねばならない。そのことを彼は何度か語っている。このことは稿を改めて、「志村正彦ライナーノーツ」に書いてみたい。(偶景web [ 志村正彦 LN77 ] より)

。。と、主催者の方のブログから引用させていただきましたが。。
フジファブリックについて語る時、現メンバーになってから、つまりメジャー1stの「フジファブリック」を起点にする方がたまに居られるのですが、インディーズ時代の2枚を含めない評価はフジファブリックの、あるいは志村正彦の音楽について重要な点を見逃しているんじゃないかなって私は思います。。メジャーデビュー前後で区切って別々に評価することも出来るかもしれないけど、インディーズの頃の楽曲をメジャー後も大事にして新しいアレンジで復活させてきたことは、彼自身が別々と考えていなかった証しじゃないかしら。。

しかし一方で、上記引用にあるように、このバンド遍歴が単なるメンバー交代ではなく「解散」と呼ぶにふさわしいもののようにも実は私自身もそう感じている。何故なのか。。改めて問いを与えられた気がします。。




展示室101の最後の写真は、2009年12月23日付けのものでした。
何かの飲み会の風景で、彼が珍しく?大笑いしている写真でした。

でも、この写真、ちらっとしか見れなかったな。

その代わりに、隣で流れ続けていたライブの映像を食い入るように見てました。。
しばらくその場を離れることができませんでした。

(続く)

2014年7月20日 (日)

「ロックの詩人 志村正彦展」前編

さて、開催されたのは7月12日・13日の2日間でしたが、私は12日にまず富士吉田に寄ってから夕方に甲府へ移動して13日に参加しました。

12日に参加している方々の「長蛇の列、1~2時間待ち」という悲痛とも歓喜とも思えるツイートを読みニヤニヤしつつ富士吉田巡り。

久しぶりにご挨拶した富士山は、最初はお隠れ気味でしたが、たくみうどんさんで遅めの昼食をいただき、いつもの場所へ向かう頃には、少しお顔を見せてくれました。。嬉しかった。ありがとうね志村!

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いつものノートを書きに行ったら、すでに何名か待っておられて、フジファブリックに出逢った経緯などしみじみと語り合っておられました。

皆さんいろいろな出逢いと想いがあるんだなぁと今更ながら感じ入りつつ傍で聞きつつのひととき。。

私が何度もひとり旅で富士吉田に行けているのは、いつ訪ねて行っても居心地のいい場所であり続けてくれる大正寺さんのおかげだなぁと改めて思いました。。ほんとうに感謝だなって。。

。。と、いつも以上に存分にくつろいだ富士吉田でした。
ちょっと仕事やら何やらで消耗していたというのはあるけど。。くつろぎ過ぎて、いつもの丘に登る気力が無くなっちゃったw


そんなわけで。。久しぶりに月江寺から富士急で富士山駅まで行ったら。。

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いました。いました。


富士吉田の街、あらゆるところにいましたから、ここにもいるかもしれないと容易に予測できたけど、何故か私は感動していた。。

一本前のバスに乗れれば閉館15分前に甲府に着くからギリギリ滑り込みで見に行こうかなと無謀にも思ったり、そんな自分のアイデアにおかしくなってニヤニヤして。。
結局、展望デッキでのんびりしたりお土産買ったりと何となく時間つぶししちゃったけど。。

行きたいような行きたくないような気分だったのかな今思うと。。終わってほしくないという防御反応だったのかもしれません。。ええ、行く前からw

実際、たった2日間で終わってしまうのはほんとうに勿体無いと思った展示内容でした。

視覚的で直感的な刺激があり、そこから想像や推論を促される余地があり、もっと彼を理解したいという想いを喚起させてくれる発見があり。。

何より主催者自身が驚きと刺激を受けていたに違いないと思われるような。。そんな展示でした。

これもライブということかもしれません。。勿体ないけど終わってしまうライブ。
受け取ったひとりひとりがその記憶を反芻して、拡げていくことで生き続けるんだなって。

(続く)

「ロックの詩人 志村正彦展」が終わった。。

もう早や一週間経ってしまいましたね。。
山梨への旅、すごく濃密な2日間でした。。

とにかくすばらしい展示とフォーラムでした。
この感動をどのように伝えればいいのかな。。
いろいろ考えたんですが、まぁ気負わずにレポすりゃいいやん。。
で、結局いつものノリの旅行記になりそうな。。苦笑

ただ、これだけは最初に真面目に言っておかねば。
主催者の方々と、ご協力くださった志村くんのご両親に
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました。


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2013年12月31日 (火)

ピンクッションを買いました。

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いつものように月に一度、志村のためにお花を買いました。(当日のつぶやきはこちら)。

今月はピンクッションという名前のお花。その名の通り、針山にたくさん針が刺さっているような姿から名付けられたようです。

花言葉は「どこでも成功を」。。

先月お伝えしたように君が生まれ育った街へ行ってきました。そして撮影は、お分かりのようにあの駅舎の中からです。

やっちゃいました。一度やってみたかった。

撮影ポイントが決まらず苦労しました。ちょっと恥ずかしかったですし、不審者だったかもしれません。スイマセン...

お花は「クリフ」さんでアレンジしてもらいました。最初に目に入ったピンクッションを中心に。。カンガルーポー、リューカデンドロン、スカビオサ。。です。

とても素敵なお花屋さんだけど新しく出来たお店だから君はたぶん知らないよね。

今回、私は21日お昼頃に着いて22日の午後まで滞在しました。仕事の疲れで宿で寝落ちてしまって、ジュゲムさんでのナイトセッションには参加できませんでしたが、下吉田倶楽部とふじさんホールでの音楽祭を楽しむことができ、とても充実した癒しの旅になりました。

企画してくださったジュゲムの伊藤さん、富士五湖アコースティッククラブの方々、ほんとうにありがとうございました。

また来年、開催されたら、私も演者で参加してみたいなと無謀にも考えてしまうほど気分が高まりました。参加枠や制限はあるでしょうから実現するかどうかは別にしてやっぱりギターの練習を再開しようと思います。さっそく2014年の目標が決まりました笑。やはり、こういうのは自分が演じる側になるとより関われるし面白いのかなと思ったりもしました。

そして夕方5時のチャイムは。。

始まる頃にはまだ明るかったあたりの景色が、鳴り止む頃にはすっかり薄暗くなってしまって、視覚が50%ぐらいに落ちたから、音だけが、あのメロディだけが空気を、当たり前だけど夏に聴いた時よりも凛と張り詰めた空気を伝って、私のすぐそばにありました。

すぐそばに。。

前日までの極寒が嘘のように日中はストールが邪魔になるぐらいの陽気だったけど、さすがに陽が落ちてしまった後は肌寒くて。。私は両手で自らの身体をしっかりと包み込みながら聴いていました。

涙が流れた。嗚咽のような声も出た。まったく予測していなかったのだけど。

チャイムが終わったら急に恥ずかしくなって。。一目散に君の眠る場所へ向かいました。薄暗かったけどだいじょうぶだった。

今年も行ってヨカッタです富士吉田。ありがとう志村。来年もよろしく。

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2013年7月20日 (土)

志村正彦生誕祭@富士吉田に行ってきました

以前お知らせしたように、志村の誕生日である7/10の週末(12日~14日)に富士吉田で彼の生誕を祝うイベントがあり、私も行ってまいりました。 

4ヶ月ぶりの富士吉田。今回は諸々の事情で13日のお昼頃に着いて一泊しかできず14日朝には発ってしまったのでしたが、すごく充実した旅になった。(当日と翌日のつぶやきはこちらこちら

イベントの詳細はこちらのブログを見ていただきたいのですが(他人の褌を取る手法、毎度すみません)、夕方6時のチャイムが「茜色の夕日」のメロディで鳴り響き、下吉田倶楽部、新倉浅間神社内 神楽殿、ミュージックバー ジュゲムで「志村正彦を謳う会」が催されました。

楽しかったです。そして、すごくすごく幸せでした。

志村の音楽を慕う人々が集まり、思い思いにアレンジをして演奏してくれているその姿を眺めながら、心の中で何度もありがとうを言いました。

なんか勘違いはなはだしいけど身内感でいっぱいになって、本物のお母様がいらっしゃるのに、ウチのまーくんのためにありがとうみたいになってしまったのよ。。すみません苦笑。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

何度も泣きそうになったけど、今日は生誕祭、お祝いの日なのだからと必死でこらえました。

でも、あれは嬉し涙だった。私はあの日、志村の不在を感じることはなかったから。

あの日だけではなくて富士吉田では志村の不在を感じない。富士山の精霊だと勝手に思い込んでるからかなw

でも、志村の曲を違う人が歌うのを聴くってどうだろう。。とライブ会場に着くまでは少し不安だった。何しろ新生フジファブリックのライブでは不在の悲しみを思いっきり感じてしまった私ですから。。

。。でも、だいじょうぶだった。何故なんだろうな。。志村の不在というのは、事実としてはこれは変えれようがないことで違いはないはずだから、違うのは感じ方だけ。。

それは人それぞれで理屈じゃないけど、自分だけでも納得させられればいいなと考えた。。それは不在の現れ方の違いかなと。。つまり更新されて上塗りされていくような不在と、ぽっかり空いた穴を埋めずにさらにずっと掘り進んでいくような不在。

私はたぶん後者がいいんだな。同じ不在を感じるとしても。。

さて、14時から始まった下吉田倶楽部でのライブ、少し遅れて行ったら満席の立ち見状態で、トップバッターの「富士五湖アコースティッククラブ」さんが歌われているところでした。

それから「惑星シンゴウ」「藤本マリオ with per だいぴん」「中西たまき」「本城靖明」「Fox Pharmacy」「サムライ祭り。があるので今日は定時で帰りたいです。すいません部長。」「namellow」(敬称略)の全8組。皆さん、それぞれに素晴らしく熱いライブを繰り広げてくれました。

その後、みんなで外に出て、防災チャイムの「茜色の夕日」を聴きました。。待ち構えていたのだけど冒頭が切れてしまって録音失敗。。なので13日にどなたかが録音してくれたYouTubeをリンクしておきます。こちら

さらに夜の部「ジュゲム」では各バンドで混合セッションをされたりして、さらにライブ感あふれるステージだった。本当にみなさん素敵でした。それに皆さんレパートリーがたくさんあって、リクエストにも答えてくれたりして。。すごいなぁ。。私もギター再開したい。いや、しなきゃと思ったw 楽しかった様子をいろんな方に共有して欲しいのでライブ写真一枚だけアップさせてください。(なるべくボケてるのを選んだつもり)

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それから、なんと志村のお姉様が手作りしてくださったというクッキーのおすそ分けをいただきました。超感激!

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namellowさんはその専属デザイナーさんのHPがあったのでリンクしておきます。こちら。Fox Pharmacyさんはライブ後に伺ったらHPはまだないそうです。

本城靖明さんは生誕祭当日の下吉田倶楽部でのライブ映像をあげてくださっています。こちら。そして、名古屋でフジファブリックコピーバンドをやってはるそうでそれもすごく楽しいです。こちら

翌日は早めに起きて前日行けなかったいつもの丘へ。

またまた、すばらしい景色を見せてくれたよね。今回もありがとう志村。そしておめでとう。

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2013年5月14日 (火)

新福菜館へ行ってきた

京都でのライブ前に一度行ってみたかった新福菜館でラーメンとチャーハンをいただきました。

。。って、実は今回ヤーチャイカのニシハラさんがつぶやいてはったのを見て行ってみようと思ったのですがw(←ミーハーw)

ご一緒したフジファブリック繋がりのフォロワーさんは以前からご存知だったみたいで、ホントに一度行ってみたかったらしい。くるりの岸田さんや10feetのタクマさんがよく楽屋に出前してもらってるんだって。

中華麺2つとチャーハン1つを注文。じゃーん。

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いやぁ、びっくりしました。写真をご覧になってお分かりのように、醤油だもの。醤油ラーメン。。ってか醤油だもの。

お伊勢さんで食べた伊勢うどんっぽい。ヒント得てるんじゃないかなぁ。。

でも伊勢うどんほどダシはきいてなかった。味は。。。まぁまぁってところ。麺がちょっと伸びかけていたのは、あーいう仕様かしらwww 出てきた途端、喉が渇きそうと思ったけどそれは意外と大丈夫でした。

チャーハンは美味しかった。昔懐かしい味。しかしこれも醤油で真っ黒でしたw

実は翌日もVOX hallだったのでライブ前に行ってみたのですが休憩時間だったのか開いてませんでした。

うげー!まんま醤油やん!!。。とか言いながら、もう一度食べてみたいかもw

2013年3月10日 (日)

春の日、富士吉田にて

3月7日。東京でのライブ参戦のついでに富士吉田に行ってきました。(当日のつぶやきはこちら

命日に伺った以来。まぁ3ヶ月ぶりですから久しぶりでもないですね。

実は今回ちょっと迷ったんですよね。
東京にライブなり演劇なりで遠征するときは富士吉田経由はデフォなのに。。
迷った自分にすごい落ち込んだ。。ごめんねしむら。

大阪から直行の夜行バス・フジヤマライナーで。これちょっと久しぶり。
バス会社が近鉄でなくて富士急だった。なんか嬉しいしとても快適だった。
富士急の運転手さんは「ダイヤモンド富士」をちゃんとアナウンスして知らせてくれた。
朝日が富士山の頂きに輝くこの希少な現象をバスの中からで一瞬だけだけど実際に見ることができた。

近鉄の運転手さんでもアナウンスするのかしら。。。わからないけどww
さすが富士山とともに生きてきた会社だけのことはあるなと。。
(富士急贔屓w)

バスは定刻通りに到着。
まずは駅ビルの屋上にある展望台に登ってご挨拶。
1階にあるモスバーガーで朝食買って駅裏の自販機でコーラを買って。

最近は来るたびにご機嫌がいい富士山です/^o^\フッジッサーン
しかも、今回もめちゃくちゃ暖かい一日で。。
寒暖差のあるこの時期にそれだけで幸せを感じたよ。。
だって君も穏やかでいてくれてるんでしょ?

ふわんふわんしながらてくてく歩き。。
君の眠る場所に向かう道すがら頭の中でずっと鳴ってたのは「MUSIC」
いつものように煙にむせながら、あいぽんシャッフルして流れてきたのが。。

「MUSIC」!きたよこれ!!

なんかね。。いつも何かしら仕掛けてくるよね君は。。

そして、いつものようにお寺さんにお邪魔してノートを書かせてもらいました。
春の名物「いかなご」をお渡したら、大層喜んでいただいたので
もっと大きめのタッパーにすればヨカッタな。。よし、来年の春は。。と決意w
(とにかく配ってしまいたい神戸市民ですw)

いつもの丘に登っても、変わらずご機嫌な富士山でした。
ちょっと全体に霞がかかって。。薄いシルクのベールを被ったようになっていった。。
背景に同化して消えてしまいそうで、でも消えなくて。。
日差しも風もちょうどな感じ。。
富士山に、君に見守られながら寝落ちしそうだったよ。。

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ありがとうね志村。

2012年12月24日 (月)

三日月と富士山と。。

1週間ほど早かったんですが富士吉田へ行ってきました。(当日のつぶやきはこちら

岐阜シネマが終わって夜行バスに飛び乗り、新宿着いて河口湖行きホリデー快速に飛び乗りました。

富士山が絶景で、暖かい一日でした。

温泉に入って(身を清めて?w)、志村にご挨拶に行って、いつもの丘に登って、大根スパゲティを食べました。

冬の日は暮れるのが早くて、陽入りからあっという間に暗闇に。。

いつもの丘からの夜景は初めてだったのでプチ感動しましたけど、帰りは外灯がないので目を凝らしつつ階段を降りなければならず、ちょっとビビった。。

それもまた思い出だな。。

きれいな三日月が、富士山の左肩上にちょこんといた。

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